ポルシェの吉田さんと久しぶりに会った。
14年前に北海道で知り合って以来
交流が続いている。
当時彼はポルシェの屋根にコンテナを積んで
北海道をひとりで旅していた。
車体に《和歌山→北海道》とでかでかと書かれた
ポルシェが美瑛駅かどこかに停まっていて、
なんじゃこりゃ?と眺めていると、
「車に興味あんのか?」
と声をかけられ、振り向いたら
カタギじゃない雰囲気のおじさんがいた。
でもしゃべるととても穏やかな人で、
話し込んでいるうちに旅は道連れとなり、
ポルシェ旅を束の間体験させてもらったのである。
車の中は全面に板が敷かれ、
足をのばして座れるようになっており、
さながら”お座敷カー”だった。
今回会うのは3年ぶりか4年ぶりか。
70歳を過ぎたはずだから、
さすがにそろそろ老いたかなと思いつつ
待ち合わせ場所に行ったら、
相変わらず背筋のピンとのびた
ダンディでかっこいい吉田さんが立っていた。
会うたびに刺激をくれる人だが、
今回もそうだった。
大船渡からの帰りらしい。
建築作業員だった吉田さんは震災後、
毎年大船渡に通って、現地で約1ヵ月、
ボランティアで建築現場に立っている。
同じ現場に20人ほどの作業員がいるそうだが、
ボランティアで働いているのは吉田さんだけだ。
「和歌山から大船渡までの電車代も
バカにならないじゃないですか」
と僕が言うと、吉田さんは飄々とこう答えるのだ。
「だから和歌山でアルバイトして
足代を貯めてるんやん」
「でも向こうは払うって言ってるんでしょ。
足代ぐらいもらっても…」
「そんなんイヤやわ。やる気なくすわ」
「なんでそこまでできるんですか?」
「さあ。あいつのこともあるんかな」
吉田さんは自閉症の息子さんを
事故で亡くしている。
「世の中の役にたてたらええな、いうんかな」
のんびりした口調でそう言うのだ。
吉田さんは一昨年、69歳のときに
大きな事故をやったらしい。
前後の記憶がないため、
状況が思い出せないそうだが、
ポルシェはほぼ廃車になった。
「ほんま残念やったわ。
70歳になったら車体にヤスリをかけて
塗装はがして錆びさせよう思ってたんや。
それで日本一周するつもりやってん」
「なんで錆びさすんですか?」
「映画の『マッドマックス』みたいでカッコええやろ」
「ポルシェのマッドマックス!」
「見たことないやろ。絶対笑われるで」
いたずらを考える子供のような目でうれしそうに話す。
やっぱりカッコイイなあ、と僕は羨望すら覚えてしまう。
食欲も相変わらずだった。
昼に「茄子とトマトのスパゲティ」と
「中落ちカルビ膳」を食べる71歳。