2003.12.25 Thursday
ルーベンスの絵
ロンドンを離れ、ベルギーのアントワープに来た。
この町に14年来の友人がいる。
その友人の家族と共に、クリスマスを過ごそうという魂胆である。
3年半ぶりに会う友人は、いつもと同じように固い握手と笑顔で迎えてくれた。
さて、昨日、クリスマスイブのこと。
昼間、一人でアントワープの市街に行き、町をブラブラ散歩した。
高さ126mの大聖堂は、3年半前に見た時よりもはるかに大きく見えた。
先にも書いたが、日本で現実の生活を一年ほども過ごすと、感受性がすっかりフレッシュになり、何を見ても新鮮な驚きがある。
2ユーロを払って、大聖堂の中に入る。
中に飾られているステンドグラスや宗教絵画をつぶさに見てまわった後、ルーベンスの絵の前で足が止まった。
「キリスト降架」という絵である。
すさまじい引力だった。
縦3mほどのキャンパスからあふれて来る躍動感やドラマ性は、まわりに飾られている他の画家の作品たちとは一線を画していた。
しかしぼくが立ち止まったわけは、芸術的な要素だけではなかった。
十字架から下ろされているキリストの左下にブロンドの女性がいるのだが、その彼女に目が釘付けになったのだ。
「かわいい……」
観月ありさに似た、実に魅力的な女性だった。
うれいのある瞳、両側が引き締まったさくらんぼのような唇、柔らかそうな、ややぽっちゃりした体。。。
彼女は不思議な表情をしていた。処刑されたキリストを見上げ、悲しみに打ちひしがれたような、あるいは何かに困惑したような、しかしどこか笑っているような、捉えどころのない表情。
ぼくは文字通り、穴が開くほどその彼女を見つめた。
現実の女性(かつ、ほのかに恋心を寄せた女性)を見ている時となんら変わらなかった。
ぼくは絵の前にあるイスに座り、彼女をボケーッと見つめた。
それからさらにイスの上に寝転がって横になり、ボケーッと見つめた(日本人旅行者の評判をますます落とすので、真似しないで下さい)。
気がつけば、30分近くそうやっていた。
近くに、絵の説明をつづったパンフレットが設けられていた。
日本語訳もあったので読んでみると、その絵がまさしく「フランダースの犬」のネロ少年がずっと見たがっていた絵だということが分かった。
ネロ少年はクリスマスイブの夜にようやくこの絵を見ることができ、そして、絵の前で犬のパトラッシュとともに大往生したのだ。
ぼくは偶然にも同じ日にその絵を見ていたというわけである。
そこを出て、再び町を歩いた。
土産物屋を冷やかしたあと、夜のパーティの開始時間に合わせて帰ろうと、バス停に向かった。
しかし、最後にどうしてももう一度絵を見たくなった。
ぼくはきびすを返して再び大聖堂に向かった。
絵の前に来て、もういちど彼女を見つめた。
ふと、女性の頬に何かがついているのが見えた。
涙だった。
自分の目を疑った。
さっき、30分近くも見ていて、そこに涙があることを気づかなかったのである。
この町に14年来の友人がいる。
その友人の家族と共に、クリスマスを過ごそうという魂胆である。
3年半ぶりに会う友人は、いつもと同じように固い握手と笑顔で迎えてくれた。
さて、昨日、クリスマスイブのこと。
昼間、一人でアントワープの市街に行き、町をブラブラ散歩した。
高さ126mの大聖堂は、3年半前に見た時よりもはるかに大きく見えた。
先にも書いたが、日本で現実の生活を一年ほども過ごすと、感受性がすっかりフレッシュになり、何を見ても新鮮な驚きがある。
2ユーロを払って、大聖堂の中に入る。
中に飾られているステンドグラスや宗教絵画をつぶさに見てまわった後、ルーベンスの絵の前で足が止まった。
「キリスト降架」という絵である。
すさまじい引力だった。
縦3mほどのキャンパスからあふれて来る躍動感やドラマ性は、まわりに飾られている他の画家の作品たちとは一線を画していた。
しかしぼくが立ち止まったわけは、芸術的な要素だけではなかった。
十字架から下ろされているキリストの左下にブロンドの女性がいるのだが、その彼女に目が釘付けになったのだ。
「かわいい……」
観月ありさに似た、実に魅力的な女性だった。
うれいのある瞳、両側が引き締まったさくらんぼのような唇、柔らかそうな、ややぽっちゃりした体。。。
彼女は不思議な表情をしていた。処刑されたキリストを見上げ、悲しみに打ちひしがれたような、あるいは何かに困惑したような、しかしどこか笑っているような、捉えどころのない表情。
ぼくは文字通り、穴が開くほどその彼女を見つめた。
現実の女性(かつ、ほのかに恋心を寄せた女性)を見ている時となんら変わらなかった。
ぼくは絵の前にあるイスに座り、彼女をボケーッと見つめた。
それからさらにイスの上に寝転がって横になり、ボケーッと見つめた(日本人旅行者の評判をますます落とすので、真似しないで下さい)。
気がつけば、30分近くそうやっていた。
近くに、絵の説明をつづったパンフレットが設けられていた。
日本語訳もあったので読んでみると、その絵がまさしく「フランダースの犬」のネロ少年がずっと見たがっていた絵だということが分かった。
ネロ少年はクリスマスイブの夜にようやくこの絵を見ることができ、そして、絵の前で犬のパトラッシュとともに大往生したのだ。
ぼくは偶然にも同じ日にその絵を見ていたというわけである。
そこを出て、再び町を歩いた。
土産物屋を冷やかしたあと、夜のパーティの開始時間に合わせて帰ろうと、バス停に向かった。
しかし、最後にどうしてももう一度絵を見たくなった。
ぼくはきびすを返して再び大聖堂に向かった。
絵の前に来て、もういちど彼女を見つめた。
ふと、女性の頬に何かがついているのが見えた。
涙だった。
自分の目を疑った。
さっき、30分近くも見ていて、そこに涙があることを気づかなかったのである。