いま台湾の東北部、花蓮という町にいます。
この町がめちゃくちゃ気に入って離れられなくなりました。
このあたりの海は岸からずどんと深くなっていて、その深さ2000mだとかなんとか。で、そこではマンボウが1日になんと10トンもとれるのだとか。だから町のあちこちにマンボウを食わせるシーフードレストランがあります。
これがまたうまい!
白身で淡白で、プユンプユンして。
花蓮に連泊して、毎日、最高のマンボウ料理を求めて町をうろついています(走れよ!)
で、昨日、ある店に行ったら、目がマンボウになってしまいました。
シーフードレストランの隣にカラオケバーがあったのですが、その名前がなんと、
「和歌山」
なぜにぼくの愛すべき故郷の名がカラオケバーの名になっているのか?
そんな感じで台湾、超オモローです。
いま成功という名の町にいます。
台湾の東部の小さな町です。歩いても10分ぐらいでまわれるんじゃないかな。
えらく縁起のいい名前ですけど、おそらく台湾をオランダから奪い返した歴史上の人物、鄭成功から来ているのでしょう。
ちょっと驚くことがありました。
日本人が来ることはほとんどないと思えるこの小さな町のネットカフェで、このとおり、ぼくはいま日本語を打っています。
設定のところをチョコチョコいじっていると、なんと日本語フォントが出たのです。
これがどのぐらいすごいか。
ぼくが世界旅行をしていたときは、日本語を打つどころか、読むことさえもできない場合がほとんどで、そのため日本語フォントに変えられるソフトを持って旅をしている人までいたぐらいなのです。
さっき日本語フォントが出たときは歓喜のあまりウホウホと踊りになったのですが、でもそのあとで、なんといいますか、どんどん便利になっていくぶん、遠い地を旅しているという気分がどんどんそがれているかもなあ、などとも思ってしまいました。
まあ、それはともかく、台湾いい!
人がほんとにやさしいです。
ちょっと泣けてきます。
まあ、詳しくは。。雑誌に書きます(笑)。
台湾の南の町、その名も「台南」に着きました!
走り出すと「ネットなんてやってられるかい」って感じで、台北を出てからこの4日間は硬派な日々を送っていました。
台湾、いやあ、うまい!!
小龍包ってあるやないですか。
あれもうまいけど、あれのさらに上をいくのが「小龍湯包」。
「湯」はスープって意味です。
「包」は日本語と同じ。
つまりスープを包んでいる。
「小龍包」もスープが入っていますが、「湯包」になるとさらに大量のスープが入っているわけで。
ある日真っ暗になるまで走って、体も冷え切って(意外にもこの時期はけっこう寒い!)、宿も見つからなくて、情けない気分になっていたときでした。
暗闇に小さな街というか、村がぽつんと現れ、そこに屋台が1軒出ていました。看板には「小龍湯包」。
「ツェガーイーガー!(これ1個くれ!)」
と頼んで、さっそくかぶりついてみると、
スープが口にドバアアアアッ!
「うまああああああっ!」
なんやこれ! うますぎるっ!
もうひとつ、バクッ。
スープが口にドバアアアアッ!
「がおおおおおおおっ!」
さらにもうひとつ、がぶっ。
スープが……もうええか。
って、早速更新しとるがな!
だって寂しいんだもーん。
ボ、ボク……ネットで人とつながりたいの。うぉぉぉん。
あ、すみません。
久しぶりの海外ひとり旅でテンションがあがってます。
寝る気がしないので、ロビーのパソコンで遊んでいるわけです。
さっきまで夜市を散策していました。
エビワンタン麺から始まって、大腸包小腸というライスホットドッグみたいなん食べて、ビーフン食べて、お約束のタピオカ紅茶ズルズルやって、そのあたりでもうボクおなかぽんぽんやねんって感じやってんけど、でもやっぱりシメはこれ!ってことで、カキ氷。
これがビビッた!
さらさら〜。さらさら〜。さらさら〜。
なんじゃこれは! こんなカキ氷知らんわ!
切った髪の毛がパサパサーッと崩れるみたい。
退化しまくっためちゃくちゃな北京語で聞いてみると、どうやらこのカキ氷、牛乳で作っているみたいですね。だからこんなにさらさらになるのかな?
大興奮で食べていたら、店のおばさんが「これも食べてみなよ」と、ピーナッツ牛乳カキ氷をご馳走してくれました。
それも山のように。
さすがに気持ち悪くなったぜ……。
あ、それと、いまテレビで阪神タイガースの台湾人選手、林くんが出ていました。
やっぱ彼はこっちでは大スターみたいな扱いされてますね。
林くん、今年は頼むよ! 俺は君のスイングが好きや!
それではいまから台湾に行ってきます。
自転車で一周してきます。
といっても取材ですけど。
しかし台湾って結構大きいんですね。
一周で1100キロ以上もあるんですよ。
だから余裕をもって半月ばかり時間をとりました。
考えてみると、海外ツーリングはえらい久しぶりです。
前に走ったのは、たしか3年前。アメリカでお世話になったブルースと11年ぶりに再会し、シアトルの郊外を走りました。
その前はビーパルの取材で中国を少し。
えーと、それだけか。
ってことは、1人で海外を走るのは、世界一周以降初めて!
サラリーマンをしていたころは海外に行きたくてしかたがなかったんですけどねえ。今は旅をするとしても国内で十分な感じです。
文筆という仕事がやっぱり好きなんでしょうね。海外を走るという発想は、今は頭をどれだけ振っても出てきません。その時間があるなら、1文でも多く文章を書いたり、本を読んだりしたいと思ってしまいます。
でも今回はいろいろあって、ていうか、まあもったいぶる必要もないんで言いますが、拙著が台湾でよく売れているということ、向こうの出版社が「遊びに来ませんか?」と気軽に声をかけてくれたこと、メシがうまいと前から聞いていたこと、まだ未訪であること、それらぜんぶをひっくるめて、いざ台湾! となったわけです。
で、台湾に関する本を読みあさり、人に会って話を聞いているうちに、自分の中でめちゃくちゃ盛り上がってきました。異国に向かう高揚感。冒険心がくすぐられるこの感覚。やっぱりたまらんですね。
自分は冒険家ではない、と昨日書きましたし、それは事実なんですが、「冒険」は好きなんです、やっぱ。
終わらしておきたかった仕事が全部片付いておらず、かすかに残尿感はありますが、ええい行ってまえ! ということで行ってきます。
もしかしたら台湾のネットカフェから更新するかも、です。
ああ、でもたぶんしないかなあ(笑)。
自分のプロフィールを求められる場面がよくある。
本を書いたとき、雑誌に記事を書いたとき、講演をするときなどなど。
そのたびに「肩書き」をどうするかで、かすかに戸惑いが出る。
講演先で「冒険家」と紹介されることがあるけれど、これは正直、違う。
自転車世界一周は、少なく見積もっても、おそらく過去に百人以上はやっていて、パイオニア的な行為でもなんでもない。ぜんぜん冒険じゃない。
それに今のぼくのチャレンジは、いい作品を書くこと。これに集中している。自転車世界一周以上に困難で、でっかい挑戦だ。そういう意味では冒険家かもしれないけれど。
話がずれた。
そう、自分の肩書き。
できれば「作家」と書きたいけれど、てんで話にならない。
では「旅行作家」は?
なんか「作家」というのが、やっぱり面映い。
そこで「旅行エッセイスト」という、よくわからない言葉を用いたりする。
でも書いた瞬間から体がむずがゆくなる。なんだか謝りたいような気持ちになる。
そんなものだから、ぼくの名刺には長らく肩書きがなかった。
《執筆・講演 石田ゆうすけ》と書いているだけだった。
でも数年前から、必要にかられて、《エッセイスト》という言葉を入れるようにした。
この肩書きに恥じないものを書かなければ、という戒めの意味もこめて。
前置きが長くなったけれど、たまたまいま読んでいる吉村昭のエッセイ集『わたしの流儀』にこんな記述があり、驚いてしまった。
「自分の名刺には肩書きがない。
ホテルに泊まるときも、宿泊用紙の職業欄は空白にする。
なぜか。
ひと言にして言えば、気恥ずかしいのである。果たして公然と作家だといえる身なのだろうか、という気持ちが根強く胸にひそんでいる」
吉村昭にして、である。
もっとも、確固たる実績があるから、こんなことも堂々と書けるのかもしれないが。
このあと、氏はこう続ける。
「私だけでなく、小説家はひとつの作品を書き上げたとき、それに満足せず、次の作品こそすぐれた作品にしたいと願う。いわばいつも満足すべき箇所にたどりつきたいと、荒野の中の道をひとりとぼとぼと歩いているようなもので、作家であると胸を張って言える気にはなれないのである」
気構えだけは、ぼくも間違いなく作家だ。
うまそうでしょうー。
入ってしまうでしょうー。
……そうでもないすか?
撮影者はビーパルのリアル旅人図鑑でカメラマンをやってくれている安田健示くん。
彼とはじめたこの連載も、もう4年になります。
ちなみに彼とは12年前にアルゼンチンで会っているんです。
当時、彼はバイクで世界一周していて、互いに夢を語り合っていました。
彼はもちろん、カメラマンになるという夢を。
そしてぼくは物書きになるという夢。
その彼と、まさかいっしょに仕事をして、そして京都のおでん屋で大根をつつくようになるとは。
人生わからんもんです。
とても大事なことを、今から書こうと思います。
すみません。
これまでずっと内緒にしてきました。
じつはですね。
京都に信じられないぐらいうまいおでん屋があるのです。
南北は、四条通と三条通のちょうど真ん中あたり、そして東西は、河原町と木屋町のあいだにある、「おもて」という名の店がそれです。
そこを知ったのは、まったくの偶然からでした。
なんのあてもなく飲み屋を探していたときに、細い路地にたたずむその店がふと目に留まったのです。その古ぼけた外観や、店全体から漂ってくる温かい空気に、私のアンテナはピピッと反応しました。
木の引き戸を開けると、京都によくあるロの字型のカウンターが目に飛び込んできました。15人も座ればいっぱいになるでしょうか。カウンターの中には、おじさんとおばさんがふたり。私は彼らの前に座り、まずは目の前のおでんを頼みました。そして軽い気持ちで大根を口に入れてみたのですが、次の瞬間、
「マジかよ……」
私は一瞬、化石のように固まりました。
あふれ出る汁、大根の香り、なんでしょうかこれは? これはおでんですか? うつせみですか? 蜃気楼ですか?
それから頼むもの頼むもの、すべてが驚愕の味。おでんだけではありません。魚も小鉢物も、キラキラと光って喉の奥に吸い込まれていくのです。京野菜の代表格、エビ芋のあんかけにいたっては、食べた瞬間に私はイスから崩れ落ち、カウンターに這い上がるまでに、連れから2、3発殴ってもらわなければなりませんでした。
これまでに世界一の焼き鳥屋、世界一の餃子屋、世界一の喫茶店を探し出してきた私ですが、世界中のありとあらゆる店の中で、その頂点に立ったのが、この「おもて」でした。
もちろん、味だけではなく雰囲気も極上。それは言うまでもなく、店のおじさん、おばさんの人柄を含めた、店全体の空気のことです。そして料理の味にはそれがとうぜん溶け込んでいます。
昨日もカメラマン2人を連れて行きました。
「とてつもない店や」と私は彼らにさんざん吹きまくり、彼らも最大限に期待をふくらませていたにもかかわらず、味はそのフェンスを軽く飛び越え、料理を口に入れるたびに彼らの目はまん丸になっていくのでした。
値段もこのクオリティにしてはありえない安さ。ひとりあたり、ビール2、3本、刺身盛り合わせ(小)、おでん3種、ブリのカマ焼き、出し巻き、カニ入り卵焼き、かす汁、エビ芋のあんかけ、と腹いっぱい食べて、ひとり4300円。
これだけの店だから、さぞやネットで話題になっているだろうと思いきや、検索してもぜんぜん引っかかりません。ふふふ。ここを知っている人は、おそらく誰にも教えたくないか、あるいはネットなんてまったくしないかのどちらかなのでしょう。
それで私もだんまりを決め込んでいたのですが……。
これだけすばらしい店でも、このご時世、やはり少しばかりきつそうなのです。
バブル崩壊のときはなんてことなかったんですけどね、とつぶやくおじさんのさびしそうな顔が、私の頭からどうにも離れないのです。
ということで、お近くを通られることがありましたら、「おもて」、よかったら行ってみてください。
そして、もしその味に、私と同じように深い感銘を覚えられましたら、ちょこっと感想などいただけるとうれしいです。
ぼくの郷里、南紀白浜は、「南国」と呼ばれることの多い地だ。
でも実際はちゃんと雪も降るし、冬は風も強い。
だから、この時期に来た人は、白浜に温かいという印象を持つことはまずないだろう。
と、思っていたが、昨日、南国を実感せずにはいられないものを見てしまった。
なんと、蚊。ぶはっ。
おいおい、1月やで。手紙なら「厳寒の候」やで。
さすがに蚊も、羽化したことを後悔しているようで、じつに頼りなくふらふらと厭世的に飛んでいる。
がんばれ、蚊。
あと5か月ほど持ちこたえれば、なんとかやっていけるはずだ。
*
そんな白浜で、ぼくは原稿を書きつつ、やはり温泉を楽しんでいる。
日本一の名湯、「長生の湯」の露天風呂に浸かりながら、本を読むのが至福なのである。
その露天風呂の一角には「備長炭風呂」がある。
紀州の名産、備長炭で囲まれたその湯船は、一部が長いすのようになっていて、そこに寝そべることができる。湯はまるで毛布のように体だけを覆い、手と顔は外に出ている。本を読むのに最適なのだ。
昨日、己の持つ記録を更新してしまった。
この「読書 in 露天風呂」を、じつにたっぷり3時間。
これまではせいぜい1時間半だったが。
活字に疲れると、寝た姿勢のまま、頭上の赤いモミジを眺めるのである。
ぐおお、極楽……。
って、ん?
赤いモミジ?
そう、じつはいま紅葉中なのです。
やっぱ……南国ですかね。
*
これが地元民ゆうすけのイチオシ、「長生の湯」!
↓
外に出ると、
↓
こんな感じ。
奥に見えているのが、ぼくの読書部屋(風呂)です。
内側がぜんぶ備長炭で敷きつめられています。
よっしゃ! 元日から4本原稿書けた!
ということで、ちょっと休憩。
昨日も書いたけど、来週から台湾に行きます。
ま、取材ですが、久しぶりの海外ツーリングなので、非常にわくわくしています。
台湾はとにかくメシがうまいそうな。それがなんといっても楽しみだなあ。
話変わって。
順番がめちゃくちゃだけど、元日の翌日は同窓会デーでした。
まず昼からは高校の陸上部OB会。
各年代のOBが90人ほど集まり、元顧問の先生が旭日双光章というどえらい勲章をもらったお祝いをしました。
OBには現衆議院議員の玉木公良氏もいて、さすがに人々をひきつけるスピーチをされ。
そのあと何を思ったか、ブランコ好きのHが「わが年代にも有名人がいます」などと声を張り上げ、ぼくにマイクをまわしてきやがった。
あたふたしながら、新年のあいさつと先生への祝辞をのべ、そのあとギャグで自著の宣伝をしたのだが、完全なKYというやつで、満ち潮が一気に引いていくようなスペクタクルを味わった。
そのあと同じく陸上部の同期がやっている居酒屋「あじみ」へ。
続いて中学時代の同窓会の待ち合わせ場所にちょこっと顔を出し、そのあとは高校時代のクラス会へ、さらにその二次会へ、とこの日は12時間飲み続けで、翌日は昼まで頭痛が続いたのだった。
で、何が言いたかったかというと、和歌山の辺境に生まれ育ってよかった、としみじみ思うのはこういうときで、都会に出ている人も正月ぐらいは帰ってくるから、みんなで集まろうぜ、というノリになりやすいわけです。
ええ、いつもの田舎自慢です。だって好きなんやもん。