最後にスケート女子団体追い抜き、銀!やった。
あれ、おもしろいですね。
手に汗握りました。
ふう。
やっとバンクーバーが終わりました。
寂しくもあるけど、ちょっとホッとするな。
とにかくこれで原稿に集中できる。
早くしないとプロ野球の開幕がやってくるからなあ。
ってんで、原稿に集中しようとパソコンに向かい、でもその前にちょこっとだけ、とネットのニュースを見てみたら、
「ん? 津波? 第一波到着が午後1時半?」
パチッ。ぶおおん(ブラウン管がつく音)。
またしてもテレビの前に座り込み、ライブ中継に気をもむワタクシです。
阿佐ヶ谷トキワ荘に住むフィギュア解説委員の3人で今日の大勝負を見た。
(このアパートの2階住人はそろいもそろって、平日の昼間から何をやってるんだろう)
いやあ、キムヨナすごい。
なんだあれ。完璧すぎて笑ってしまった。
真央ちゃんもほんとよくがんばった。
安藤美姫も優雅な演技をするようになったなあ。
でもでも、ぼくがいちばん感動したのはやっぱり鈴木明子(笑)。これは思い入れのせいなのかな。でもあの人の演技はなんかグッとくるんだよなあ。今日も泣いてしまった。
(NHKのオリンピックダイジェストでもベッキーが「今日の印象的なシーン」として、キムヨナでも真央ちゃんでもなく、鈴木明子を選んでいた。わかっとるやん、ベッキー)
それと、やはり心に残ったのは、リンクを離れたあとの、真央ちゃんの涙。
あきらめない。
言い訳をしない。
きれいごとでまとめない。
19歳の女子からいろいろ教えられた。
ということで、今日はもうかなりいい時間だが、1日はこれから始まる、というぐらいの気持ちで今からまたがんばって原稿を書く。
自分の行動目標からちょっと遅れてるんだよなあ。
まったく、オリンピックなんかがあるから仕事が進まへんねん。困ったもんや。
って、いきなり言い訳しとるやんけええ!
ちゃんちゃん。
フィギュアスケートといえばなんといっても松前漬け。
ということで、ぼくはスルメを指でできるだけ細く割きながら、バンクーバーからの生中継を見た。
いやあ、すばらしかった。
真央ちゃんのトリプルアクセルが決まったときは「やった」と叫んだし、キムヨナの演技にはもう見とれるしかなかった。
鈴木明子はジャンプが残念だったけど、でもやっぱりぼくは彼女の演技好きだなあ、と思った。
あと、ロシアのレオノワと、アメリカのとてもフィギュアスケーターには見えない体型の子の演技も好き! と思った。
でも最もぼくの涙腺を震わせてくれたのは、やっぱりカナダのロシェット。
数日前に母親を亡くして、それでもリンクに立つあの姿。そしてあの演技。彼女の胸にはどんな思いがあふれていたのだろう。
ぼくはこらえることができず、涙をポロポロとこぼした。
スルメを糸状に割きながら。
いかん。
そわそわして、ぜんぜん原稿が書けないではないか。
女子フィギュアが始まる。
みんながんばれ。
とくに鈴木明子がんばれ。
ああ、どんな結果になるんだろう。
1秒先がどうなるのかまったくわからない、このワクワク感。
旅に似ているなあ。なんて。
つぶやきブログに無理やり意味をつけようとして、みごと着地に失敗。
しかしなんなんだ、最近のこの適当なブログは。
ところで、ジャンプなど難度の高いワザを出した選手に高得点を与えるか、それとも演技やステップなどの芸術点(ていうんですか?)のすぐれた選手に高得点を与えるか、という論議がまた高まっているようですが、何にも影響しないぼく個人の好みをいえば、断然、芸術性の高い演技が好き。ジャンプよりもステップに注目してしまいます。
俺を泣かせてくれー!
以前はオリンピックにほとんど興味がなかったのに、いったいなんだというんだろう。
今日の女子カーリング。
日本はスイスに負けてがけっぷちに立たされた。
原稿に煮詰まり、手がとまるたびに、そのことを思い出し、ため息をこぼしている。
かなり厳しいけれど、明日、なんとかがんばってほしい。ぼくの原稿のためにも。
ちなみに今のマイブームはジョニー・ウィアーだ。
ジョニー・ウィアー歩き、というのがかなり傑作である。
見たい人は、往復はがきでご応募ください。
ところで、ぼくといっしょにフィギュア男子を見た隣人の変態カメラマン、Yくんは、ウィアーがすべり出すと、
「こいつのケツむかつく!」
と言っていた。
その演技後、思わぬ低得点に観客が激しくブーイング。
それをウィアーくんは笑顔で制止したのである。
そしてぼくたち。
「あれ? こいついいやつやん」
「よく見ると、けっこう笑顔もかわいいですよね」
ああ、明日は女子フィギュア!
原稿書けるわけないやん!
どれだけわしの邪魔をすれば気が済むんじゃ!(by 岩崎弥太郎)
てーてててんてん、てーてててんてん。
ウィアーくん
やった! アマンくん、ジャンプで二冠!
ということで、3月26日(金)、西荻窪の「旅茶箱」というお店でスライド&トークライブします。
前回は2時間で世界一周をしましたが、今回は大陸ごとの4回シリーズとして、その1回目、アメリカ大陸編(北・中・南米編)をやります。
以下、お店ブログからコピペしておきます。
【予約】
西荻窪・旅茶箱までメールでお申し込みください。
予約はこちらまで。
→greenbazaar2008@yahoo.co.jp
一般は2月26日(金)より受付開始します。
先着30名ですが、定員オーバーの場合は次回開催時に
今回入場していただけなかった方を優先的にご案内いたします。
【場所】greenbazaar旅茶箱(http:// ameblo. jp/gree nbazaar /)
【電話】03-5310-5366
【住所】東京都杉並区西荻北4-4-2 西荻窪駅徒歩10分
詳細はこちら。お店のブログです。
やった!
高橋大輔、銅メダル!
おめでとう!
4回転でミスったときは隣人のYくんと絶叫したけれど、そのあとの演技には見入ってしまった! いや、ほんと泣けてきました。
観ていて、胸の奥からジワーッとくるこの感じは、今日の選手のなかではいちばんだったような気がしたんですが、みなさんはどうでしたか?
トリノの荒川静香のときのように、今日の高橋大輔の演技も、何年たってもはっきり思い出せそうな気がします。ひとつの時代を象徴するシーンとして。
いや、ほんといいものを観ることができました。ありがとうー。
おそらく多くの人と同じような動機でスノーボードの男子ハーフパイプを見たけれど、なんだろう? 競技自体にあまり惹かれなかった。
これはもう完全に好みの問題だろうけど、ほかの採点競技、たとえばモーグルやフィギュアなんかと比べて、うっとり見とれる、という境地にはなれなかった。
なんでだろうなあ。
世代のギャップなんでしょうか。
ラップやヒップホップといった音楽をいいと思えないのといっしょで。
ところで、例の選手の服装問題はどうでもいいけれど、あれ、なんで腰パンって言うんですかね?
正しく表現するなら尻パンじゃないですかねえ。それともおめー(そういうはき方をする人全般)の腰はそこか? じゃあケツはどこだ?
じつは、東京に居を構える際(部屋を借りる際)、高円寺駅周辺という選択肢もあったんですが、そのあたりを下見に行ったとき、尻パン姿のお兄ちゃんたちが足を引きずってダラダラ歩いているのを見て、「ここじゃ書けない」と思ってやめたのでした。
で、隣の阿佐ヶ谷へ。そしたらこの町の落ち着くこと落ち着くこと。
ほんと、1駅(距離にして1キロ)違うだけで世界がガラリと変わるものです。
書いていること、なんかおじさんくさいですか?
でもぼくは10代のころから、ティーンエイジのムーブメントを気色悪く思っていたんで、そこは変わらないのです。って誰に対して言い訳してんねん。
今朝は地震で目が覚めた。
時計を見ると、朝の5時。
よっしゃ、やろ。
と布団を5メートルぐらい蹴り上げ、前方宙返りでくるりとパソコンの前へ。現在執筆中のヒミツ原稿にとりかかった。
そうして午前8時半。
さ、朝飯食おうっと。
と側転しながらキッチンへ行き、コーヒーをいれ、トーストを焼き、トリプルフリップで居間へ。着地も決まった。
「ま、メシのあいだぐらいはテレビ見てもええやろ」
とスイッチをポン。
「………」
もぐもぐ。
「………」
ズズズ。ズ、ズ。
「………」
なんやこれ! カーリングめっちゃおもろいやん! ほんまに氷上のチェスやん! なんて息詰まる攻防でしょう!
そしてとうとう日本女子、アメリカにぎりぎり勝利!
最後は100分の1センチまで計れるメジャーで計測しての超僅差! ひやああっ!
ていうか、何ずっとテレビ見とんねん! 5時起き、ぜんぜん意味ないやん! アホかお前は!
あ、高橋大輔すべるわ。
こらっ!アホッ!
日曜日、友だちのYくんが隣に引っ越してきた。
これで2階の3部屋すべてに仲間が入り、強力なアジトができたのである。
その引越しの最中、モーグル女子決勝が始まったので、ぼくたちは手を休め(肩を負傷しているぼくはおにぎりを食べていただけだが)、テレビの前に座り、画面に見入った。上村愛子がすべるときは固唾を飲みながら。そしてそのあとの上位の選手がすべるときは「こけろ、こけろ!」という正しい声援を送りながら。
(正確にいうと、いつまでも少年の心を持つ48歳、ヤブさんがひとりでそう叫んでいただけだが)
そうして競技が終わったあとは、みんなでお茶を飲みながら、それぞれの感想を言い合った。
そのとき、阿佐ヶ谷トキワ荘の一員となったYくんがぽつりとこうもらしたのだ。
「実家に帰ってきたみたいやなあ」
一瞬、間があいたあと、みんな「そうだよなあ」と深く納得したのだった。
たしかにこのとき、ぼくの頭にも、家族でオリンピックを見ている情景が一瞬浮かんだのだ。
そして不思議と、そういうときに思い出すのは、今よりも何十年も前の、ほんとに小さかったころなのである。