テレビは、観たいスポーツとニュースだけ観たら、すぐに消す。
つけておくと、なんか脳が濁ってくる感じがするので。
でも、台湾取材から帰国すると、一気にダレてしまい、原稿がヤバイというのに、テレビを垂れ流してしまった。はじめて『めちゃいけ』なるものも観た。なんと『嵐にしやがれ』まで観てしまった。そしたら本が読めなくなった。
ぼく個人にかぎっていえば、やはりテレビは百害である。スポーツ&ニュースをのぞいて。
そんなぼくだけど、いま、久々にドラマにはまっている。
龍馬伝。
やはり龍馬が好きなので観はじめたのだけど、最初は、一部の俳優の演技や、シナリオの安易さにかなり不満があった。でも最近はめちゃくちゃおもしろい。福山もすごくよくなってきたんじゃないでしょうか。音楽も映像もすばらしいし。んで、やっぱ香川さんが出るとドラマ全体がしまりますね。
で、この前の回。
以蔵がつかまったあと、龍馬が夕餉(ゆうげ)を「食えんから、下げてくれ」と涙をながしながら断ったシーン。
しまった。
こちらもボロボロ泣いてしまった。
昔から男の友情モノがダメなのだ。
それにあの夕餉。あれがきいていた。
そのあとおこなわれたサッカー日本代表の阿部のように。ポポン。
サッカー日本代表、すごい得点力ではないか!
イングランドから3点も!(笑)
ということを書いている人は多いだろうな。。
いや、でもおもしろい試合でした。
本番で俊輔を使うかどうか、悩むところでしょうね。監督は。
ぼく的には今日の布陣で行ってほしいですね。
阿部はきいていたなあ。
ちょっとテンション上がってきました。
しかし、個人的にイングランドに優勝してほしいと思っているので、今日の試合を観ていると、ちょっと心配になりますね。
イングランド、大丈夫か?
台湾から帰ってきました。
で、帰国して最初に食べたメシが「なか卯」の牛丼セット。
そしたらしょっぱいことしょっぱいこと。
牛丼もうどんも舌がしびれるくらい濃い味に感じられて、ちょっとびっくり。
台湾の料理って、めっちゃ薄味なんですよ。
だから最初は物足りなく感じるんですが、それに慣れてくるとその味が心地よくなってきます。魚のスープとか絶妙です。
もともと京料理の味わいが好きなので、ぼくはすぐ台湾の味に慣れました。
で、眉をしかめながらなか卯の牛丼を食べているうちに、なんだか、日本が夢で、台湾が現実のような気がしてきて。へんな気分でした。
はあ。
ちょっとハマってしまいましたね。
うまかったなあ、肉まん。
今回の仕事の半分はグルメ取材。
なので台湾メシ食いまくってます。
きのうの昼は小龍包16個、水餃子10個、ラーメン1杯、山盛りマンゴー&タロイモカキ氷1杯、と店をハシゴしつつ食べていたら、はや夜になって、そのまま海鮮料理店へ。で、エビグラタンやクエの蒸したやつやホッキ貝などを食べたあと、屋台街に移動していろいろつまみ食い。
まったくやってられんすわ。
小龍包はスープどばあって感じやし、水餃子はプルップルやし、完熟マンゴーは噛んだらジュッと汁が出るし、エビグラタンはケーキみたいやし、クエはプリップリやし。
はあ、仕事ってほんとつらいっすわ。
いやいや、でもほんまに毎日食べまくっていたら、腹がしんどくなります。
こらさすがに限界や、と思っていたのですが、人間って順応していくものですね。
グルメ取材向きの体になってきました。
どう変わったか、知りたいですか?
どうしようかなー。
内緒にしておきたいけどなー。
真似されたらいやだしなー。
でも、このしょうもないブログにお付き合いくださっているみなさんへの感謝の気持ちを込めて、特別に、この秘儀をお教えします。
ほかの人には内緒ですよ。
1日に何度もうんこするんです。
きのうは4回しました。
これから町でぼくのことを見つけたら「あ、ところてんや」とうしろ指をさしてください。
あ、ぼくの自尊心のために言っておきますが、下しているわけじゃないですよ。
宿のオーナーからそんな話を聞き、予定を変えて山の中へ。
その道中、原住民のアミ族の人たちと仲良くなり、魔法のナッツを噛んで、いい気分に。そのあと坂道でスッテーン。肩を強打し、病院へ。
診察の結果、靭帯損傷、全治2ヶ月。
くだんの村にもたどりつけず、帰国。
というのが今年1月に起こった事件のあらまし。
で、今回も懲りずに、その「今でも日本語で会話している村」を目指した。
花蓮という町から1日走ってようやく村に到着。耳を済ましてみたけれど、聞こえてくるのは中国語だけ。
そこでおじいさんをつかまえ、日本語しゃべれますか、と聞いてみた。
「少しだけ。でももう忘れたね」
日本語で会話してるって聞いたんですけど、と尋ねてみたけれど、おじいさんは首をひねるばかり。
「わたしの姉は日本語上手だから、姉のところに行きましょう」
とおじいさんは言って、自転車にまたがった。
しばらく走ったところで、複数の老人が道路わきでおしゃべりしていた。
彼らに向かって、おじいさんがこんな言葉をいった。
「コンニチワー」
そしたら老人たちも
「コンニチワー」
思いっきり日本語やん!
おじいさんは笑いながらこう言った。
「ああ、今でも挨拶はコンニチワとオハヨウですよ」
で、お姉さんの家に着き、庭にイスを出して、まったりおしゃべり。
みんな完璧ではないが、上手な日本語をしゃべる。
そんな彼らから話を聞いて、わかったことは、こう。
彼らアミ族はもともとアミ語をしゃべる。
でもこの言葉、村によってかなり変わるらしい。
極端な話、橋を超えた隣村で、すでに違う。
だから、隣村の人と話すときは今でも日本語を使うのだそうな。
(台湾は日本の敗戦までの50年間、日本の統治下にあり、日本語教育が行われていたため、当時の原住民にとって唯一の共通語は日本語だったのだ)
そのほか、いろいろとディープな会話をしたのだけど、書き出すと長くなるので、ここでは割愛。
(そのうちどこかに書きます)
ただ、台湾のひなびた原住民の村で、みんなと日本語をしゃべっていると、やはり不思議な気分になった。おしゃべりしているあいだもぼくの背後から「コンニチワー」「コンニチワー」という声が聞こえてくるのだ。いったいここはどこなんだ?
そして、別れ際、おばあさんたちからは、こんな言葉が。
「おかまいもしませんで」
日本統治時代、日本は台湾のインフラを充実させ、教育にも力を入れた。
それが今日の台湾の発展につながっていると考えられている。
日本が戦争に負けると、蒋介石ひきいる中国国民党が台湾にやってきた。
彼らはとてつもない弾圧を繰り広げた。
「犬が去って豚がやってきた」
とは今でも語り草になっている話。
これらのことから台湾は親日といわれる。
たしかに、それは感じる。
でもぼくはどこかに違和感があった。
日本語を覚えている台湾の人は、笑顔でしゃべりかけてくる。
その表情を見て、やはり親日だな、と思うのは、いささかめでたすぎるような気がする。
昔使っていた言葉が通じる。
その喜びが、まずは彼らを笑顔にしているのであって、親日という感情だけで説明できるものではないんじゃないか?
あるアミ族の人はぼくに笑顔でこう言った。
「私のお父さん、戦争に行って死にました」
もちろん、日本のために戦って死んだのだ。
ぼくは思わず「すみません」と言った。
すると、その人はやはり笑顔で、勢いよくこう答えたのだ。
「いいえいいえ、国家のためですから!」
その彼の笑顔を、どうとらえるかは、人によって違うだろう。
台湾を親日とし、日本統治を美化する向きがある。
長い年月を俯瞰してみれば、そういう見方もできるかもしれない。
それに時代も考えなければならない。列強が相次いで勢力を広げていたその当時、日本の台湾占領はやむをえなかった、という考え方もあるだろう。
それらの是非をここで問うつもりはない。
ただ、ぼくはひとりひとりから聞いた話を伝えたいと思うだけだ。
彼らは日本統治時代に負わせられた重労働を話してくれた。
今聞くとすさまじい話である。
とうぜん、日本への反感は相当なものだったらしい。
ただ、今も日本にうらみを持っている人はいますか? と聞くと、みんなあわてたように手を横に振った。
「今は誰もそんなこと思ってないですよ」
自虐史観に同調するつもりはない。
でも、台湾の人は親日だ、とシンプルに考えるのは、やはりめでたすぎるような気がする。
台湾からです!
旅オモロー!(古いのか?)
田舎町のインターネットカフェにいます。
ここは入るのにちょっと躊躇しました。
入り口周辺には暗い空気が漂っていて、めっちゃ不穏な感じで、ドアをあけた瞬間、目つきの悪いヤンキーたちからにらまれそうな感じで。
そんでもって、ドアには《18歳未満立ち入り禁止》の張り紙。
どうしようかな、と思いつつ、「ええい!食われはせんやろ!」と重いドアを開けてみると、20人ぐらいいる客の全員が小学生のガキ(笑)。ギャーギャー騒ぎながらゲームをしていました。
なんなんだ、あの張り紙は?
世界にはヘンな名前の地名がたくさんあります。
エロマンガ島
スケベニンゲン
キンタマーニ
チンポー湖
・・・
国内にも。
鼻毛橋
馬鹿川
珍子島
・・・
これら珍名だけを訪れている旅人がいます。
以前、このブログでも紹介した『世界でもっとも阿呆な旅』の著者、安居良基さんです。
彼の旅のスタイルは話題を呼び、雑誌や新聞にもたくさんとりあげられています。
さらにはテレビにまで。「笑っていいとも!」にも出たそうですよ。
どこまで話せたんだろう?
彼の本に感動しまくった(本当に感動します)ぼくも、安居氏に取材を申し込み、先日会ってきました。
イメージどおり、奥ゆかしい味わいを持った人で、インタビュー中、腹が痛くなるほど笑い転げました。
で、そのあと帰って一気に執筆。
連載史上最速で書きあがりました(笑)。
で、きのう、安居氏に原稿をチェックしてもらうためにメールした際、
《安居さんのセンスは思いっきりぼくのツボでした》
と書いたところ、彼からこんなメールが返ってきて、夜中にブッと吹いてしまいました。
《最初に取材申し込みのメールをいただいた時点で、今までいちばん好感度の高いライターさんでした》
じつに光栄です。
彼の記事は、アウトドア雑誌「BE−PAL」のぼくの連載エッセイ「リアル旅人図鑑」にのります。
最後の編集長チェックがクリアされれば、おそらく「BE-PAL」史上はじめて、誌面に「マ○コ」や「チ○コ」の文字や写真が乱れ飛びます。
でも地名だからしかたがないですよね。
*
明日から台湾です。
今日は徹夜だろうな、という感じで、時間がマジやばいのですが、このブログだけはどうしても書きたくて(笑)。
あ、あと今月の「旅人図鑑」もすごい人が出ていますよ。
日本の廃道を自転車で攻めまくり、それで食っている人です。
徹底的にやっている人は、やっぱり輝いています。
昨日は池袋のジュンク堂書店で、お絵かき作家のとまこさんとトークしました。
台湾についての話。
お越しくださったみなさま、ありがとうございました。
普段はひとりでしゃべることが多いのですが、掛け合いでしゃべるのも楽しいものです。
昨日はとまこちゃんの出版記念だったので、ぼくが司会進行的なことをしたのですが、そっちのほうが自分は好きかも、と思ってしまいました(笑)。結婚式の司会も大好きだし(笑)。
そのトークの前に、浦和まで足をのばしてきました。
ぼくの大好きな鉛筆画家、こんの純一さんの展覧会が久しぶりにおこなわれたので。
彼から案内が届いたとき、「今回はいけそうにありません」と最初は断ろうかと思いました。ちょっといま、ほんとに仕事がヤバイので。
でもずっと悶々としてしまって。そうしているうちに、「行かな絶対後悔する」という結論にいたり、そして「行った分、寝なければいいのだ」という簡単なことに気づきました。
で、やっぱ行って正解!
彼の絵、彼の世界、最高です。
鉛筆と消しゴムと紙。
子どものころから親しんでいるこの素材だけで、ものすごく奥行きのある世界を創り出しています。
見ていると、魔法にかけられたような気分になります。空が青く見えてくるんですよ。
展覧会は今月11日まで。時間は10:00〜19:00。
オススメです。
あと、会場は100年前の家を利用してつくられた喫茶店「楽風」の2階。
この店も一見の価値ありです。
阪神のマートン最高!
昨日は8回裏に満塁ホームラン!
同点から一気に4点差!
で、サンスポにいい記事があったので、引用(笑)。
*
お立ち台はもちろんマートンと、あと同点打を打った矢野。
ちなみに矢野は大ベテラン。
マートンは、「ドウゾドウゾ」というジェスチャーをして、矢野に“上座”をゆずった。
マートンには26歳の奥さんがいる。
彼女は「アナタ、野球、チームを追いかける」と全試合テレビにかじりついている。
で、おとといが奥さんの誕生日。
マートンは尼崎市内の大型スーパー「コストコ」に出向き、靴と財布を購入してプレゼントした。
4月5日には日本で第2子長女・メイシーちゃんが誕生した。家族への責任感は自然とボールペンを握らせた。野球バッグに詰め込んでいる1冊のルーズリーフ。対戦相手、投手、そして状況。項目によって開くページを分けており、ペンの色も変える。
*
最後のパラグラフ以外は、わかりやすく文章を変えました。
いやあ、彼、ほんといい。
実力もさることながら、この謙虚さ。まじめさ。そして奥さんへの愛情。
パワーだけのアホアホ助っ人外人はいらない。
スカウト陣は、その人となりもきちんとチェックしておくれ。日本の野球にはそれが大切でしょう。
しかし「ペンの色を変える」ってのがいいですね。この記者さん、いい仕事してるなあ。
引用するぐらいならブログ書くなよ、という感じだけど、書きたかったんで(笑)。
虎キチ仲間Kからの情報によると、マートンをスカウトしたのは、ちょっと前まで阪神でプレイしていたシーツ(もとは広島やったけど)。彼もマジメな性格を評価されて、阪神の駐米スカウトマンをしているそうです。
うん、彼が好みそうだ。マートンは。
(え?でも去年いたメンチもシーツが引っ張ってきたの??)
ということで、今日はトークショー。
ほんで原稿をいろいろ片付けて、14日からまた台湾に行ってきます。ああ、時間をくれええ。
掲示板に上海の方から書き込みがありました。
拙著『行かずに死ねるか!』を読んだとのこと。
韓国、台湾につづいて、中国でも翻訳本が発売されたようです。
……著者聞いてません(涙)。
もっとも契約自体は聞いていたのですが、それはすいぶん前のこと。どうなっているんだろう、と思っていたら、読者さんが教えてくれました(笑)。
で、中国にいる友人、ノリに現地のサイトを調べてもらい、そこで初めて中国語版の装丁を拝見。
お? なかなかおもしろいな、と感心しました。
盗用問題が何かと話題になる中国ですが、このカバーはオリジナルなアイデアです(笑)。ぼくはけっこう好きです。
こちら。
ちなみに『行かずに死ねるか!』は中国語では『不去会死!』になっています。
さて、今週土曜日、19時より、ジュンク堂池袋店で、お絵かき作家のとまこさんとスライド&トークライブします。
よろしければどうぞ。
詳細は4月8日のブログで。