きのうは神楽坂の居酒屋で打ち合わせ。
んで午前0時ごろ、いい気分で酔って、電車で帰宅。
のはずが、目が覚めたら見慣れない駅が。
「ここ、どこ……?」
わが町阿佐ヶ谷をはるかに通り越していた。
時計を見ると午前1時20分。電車はすべて終了。はは。
とりあえずタクシー乗り場に行ってみた。
で、阿佐ヶ谷までの料金を聞いた瞬間、ビバーク決定。
この状況で、僕はやけに冷静だった。
昨日ブログに書いたオススメ本、『凍』の影響だ。
ヒマラヤの高峰に取り付き、絶対絶命の危機に追い詰められながら、窮地を脱していく山野井夫妻。
彼らの姿に、僕は自分を重ねていた。
さて、どこの岩棚にビバークしようか。
と、駅の反対側に行ったところで、僕の「野生」は急速にしぼんでいった。
そこにはホテル「マクドナルド」があったのだ。
都心から離れてもこのありさまかよ。まったく。とブツブツ不平をこぼしながら、しかし温かい店内の誘惑にはあらがえず、その中へ。宿泊代のコーヒー120円を支払って、手持ちの小説を読みだしたが、ものの5分で爆睡していた。このところひどい寝不足だったのだ。
「お客さん、そろそろ閉店です」
と店員に起こされ、時計を見ると午前4時。
外に出ると、まだ真っ暗だ。
始発まではまだ時間がある。それにおそろしく眠い。
『凍』の山野井夫妻の姿がよみがえってきた。
「ビバークや」
僕は再びビバークポイントを探して歩き出した。
そうして見つけたのが、ホテル「肉のハナマサ搬入口」。
おあつらえむきに空の段ボール箱まである。
それをつぶして平らにし、地面に敷いた。
横になれるスペースはわずかしかなかったが、山野井さんたちは切り立った岩壁を10センチ程度削って、そこに腰かけて一夜を明かしているのだ。それから考えると、この場所は5つ星ホテル並みではないか。明け方でかなり冷えてきたが、これも山野井さんたちの置かれた氷点下40度の世界と比べれば屁でもない・・・ウトウト。
というわけで、わたくしは今朝、無事に阿佐ヶ谷に生還したのである。
「命ってすごいな・・・」
明け方の空を眺めながら、私はつぶやいていた。
キマった。
いまさらだが、沢木耕太郎の『凍』を読んだ。
6年前に出され、話題になった本をいまになってやっと手に取ったのは、僕が著者の文章をあまり好きじゃないからだ。といいつつ、『深夜特急』をはじめ、何冊かは読んだのだけど。で、自分には合わないという結論。単に嗜好の問題です。
『凍』は、世界最強のクライマーともいわれる山野井泰史・妙子夫妻がヒマラヤの高峰、ギャチュンカンに挑んだときの模様を描いたノンフィクションだ。
読みながら、やはり文章は好きじゃないなと思いつつ、でも一気に読んだ。なんといっても、その内容に圧倒される。こんなことが実際にあったのか、と信じられない思いのままページを繰る手が止まらなくなる。そして読了後には得体の知れない力が体に宿っている。
キツイ状況に追いこまれたとき、これから僕は彼ら夫妻のことを頭に浮かべようと思う。そうしたら、どんな状況でも、まだまだ俺は生ぬるい、いや、生ぬるすぎる、ていうか、全然ぬるすぎて話にならんわ、ボケ、もっと気合入れてやれ、そんなふうに思うはずである。
ほんとエネルギーをくれる本です。未読の方はぜひ。
*
Kさんへ。
編集部あてのお手紙、いつもありがとうございます。
ただ、よかったら、直接僕のところに送ってくれると助かります。
担当者も転送する手間が省けますので。
僕の住所がわからなければ、次の手紙にKさんの住所を書いてもらえれば。よろしく〜。
僕は結構しっかり者である。
たとえばクレジットカードの支払い明細をチェックする、ということはしない。なぜならクレジットカードは暗証番号やサインで本人かどうかを照合し、そののちにようやく使えるものだ。だから不正に使用されるわけがないではないか。
かくも緻密な思考により、チェック作業を省略し、それによってできた時間を味噌汁の煮干しのはらわた取りに費やすのである。それぐらい僕はしっかり者である。
で、先日、A社という電話会社の子会社みたいなところから電話がかかってきて、「光通信にしませんか? いまなら特別お安いですよ」と言われた。なんという優しさだろう。わざわざ電話までかけて教えてくれるなんて。彼は僕を見捨てておくこともできたのに。僕は性善説を支持したくなった。
ただ、これまでにも何十回とかかってきているので、少し親切の度が過ぎているような気もするのだが。
それはさておき、話を聞いて電話を切ったあと、僕はいつもと違って少し気になった。というのも今日のA社は「本当に安くなりました。ADSLよりも安いです」と連呼していたからだ。
そこで、自分が毎月いくら払っているか、ちゃんとチェックしてみることにした。ADSL関連の支払いはクレジットカードで自動引き落としにしている。
その支払い明細を開くと、
「…ん? なんだこりゃ?」
振込先の欄にA社が記載され、毎月1550円という金額が引き落とされている。光回線を通した覚えはまだないのに、なぜこんな支払いが?
支払明細をチェックするという行為は、前述の通り、していない。そんな重箱の隅をつつくような真似をするよりはカード会社を信用する、という男っぷりを示している僕である。毎月1550円という支払いが発生していることなどはつゆ知らずにいた。しかし、そもそもこれはなんの金額なのだ?
ハッ。
僕はおそるおそるA社に電話し、頭に浮かんだ仮説の真偽を確かめた。
そして、
「………」
頭が真っ白になった。
3年ほど前に僕はADSLのサービスを、A社からB社に切り替えていた。そっちのほうが月々1000円も安いですよ、とB社から親切な電話がかかってきたからだ。
だが、切り替えたにもかかわらず、しっかり者の僕はA社に「サービス停止」の指示を出さなかった。だからA社にもこれまで通り、ADSL使用料の1550円が毎月支払われ続けていたのだ。使っていないにもかかわらず。3年も。あはは。
「アホかああああああああああ!」
と僕は気が付けば電話口に向かって怒鳴っていた。
「俺はちゃんとお前らに『やめる』って電話したわ! そしたらお前らが『モデムを返せ』言うから、俺、ちゃんとモデム送り返したやろ! そんとき、俺がお前らのADSLをやめる、いうのは当然わかるやろが! お前らがそれを判断してをこっちの支払いを止めるんちゃうんけ、フツーは! なんでこっちが使ってもいないサービスに3年も払わなあかんねん! こんなん詐欺やんけ! これまで払った分、返せ!」
「いえ、お客様が電話したのは、おそらくウチの関連会社ですね。モデムのレンタルはそこでおこなっているので」
「そんなもん知るかっ! こっちは同じ会社やと思うわ! お前らで連絡し合えや! なんでお前らはそうやねん! モデムだの、レンタル料だの、サービス使用料だの、なんやかんや複雑なことしやがって! こっちはわかるか、っちゅうんじゃ! ややこしいことすんな!」
と激昂しながらも、僕の脳に1%だけ残っていた冷静な僕は、怒りの権化と化した僕にこう言うのである。
「支払明細を3年も確認しなかったお前が悪い…」
じゃかましいいいいいいっ!
悪いのはこの複雑な社会じゃあっ! ぐちゃぐちゃに絡み合ったこの情報システムじゃ! 本質なんかどこにもないやないか! アフリカのサバンナを見てみぃ! 動物と草と太陽があるだけじゃ! ただ生きる、それだけでええやないけ! それ以上何がほしいんじゃ! それだけで十分じゃあああああっ!
ボコッ(冷静な僕が狂った僕をしばく音)。
女神・太田裕美のコンサートに行く前に、友人のそば屋に寄った。
「つけそば KATSURA」というお店。
場所は青梅の2駅手前の河辺駅から徒歩10分。
店主の桂とはハンガリーで会った。
イケメンなのに天然系、という愛されキャラで、彼の一挙手一投足から僕は目が離せなかった。
もっとも、それから14年たち、彼も肉付きがよくなって単なるオッサンになってしまったのだが。
さて、このお店。
「つけめん」ならぬ「つけそば」である。
麺が中華めんではなく日本そばなのだ。
それもそのはず、店主の桂はそばの名店「よしの」の息子さん。
親父さんからみっちりそばの打ち方を仕込まれたらしい。
しかし桂は「俺は自分の信じる道を行くタイプなので」と、ふつうのそば屋ではなく、つけそば屋を開業した。去年の3月のことだ。
開店から1年半もたってやっと訪問、と友だち甲斐のないことをしてしまったが、青梅はやはり遠い。
太田裕美のコンサートには青梅だろうが青森だろうが何の躊躇もなく駆けつける私なのであるが。
閑話休題。
結論からいえば、非常にうまかった!
鴨をベースに使ったコクのあるつけだれが実に見事で、そばとの相性もよく考えられている。ほう、その一点をついたか、といたく感心。
普通のもりそば(十割)も頼んで食べてみたが、こちらも文句なしにうまい。無意識に友だちの贔屓目が入っているかもしれないが、東京で食べた中でも相当上位に入るそばだと思った。
いや、しかしおみそれした。上に書いた通り、かなりユーモラスな愛されキャラだったため、職人というイメージは全然なかったのだが、やはり餅は餅屋というべきか。たいしたセンスです。
都心からはちょっと遠いけれど、近くに行くことがあったら是非寄ってみてください。
*
そして今日の曲は、太田裕美で、『青空の翳り』
はあ、これもなんていい曲なんでしょう。
素晴らしすぎる。
テレビに映っている懐かしい面々に目も釘づけになります(笑)。
エジプトで会った連中と、新宿のエジプト料理屋で同窓会。
集まったのは野郎9人。10年ぶりのひともチラホラ。
真ん中で僕がくわえているのは水タバコ「シーシャ」です。
アラブ特有のヤツで、香りをつけたタバコの葉の上に炭を置き、水をくぐらせて吸います。ちょっと脳がクラクラします(笑)。
エジプトなどアラブ諸国では喫茶店でオッサンたちがこれをよく吸っていました。僕もちょくちょくやりましたが、いやあ、懐かしい味でしたね。でもそのシーシャの煙のせいか、写真が白くぼやけてしまいました。
エジプトは物価が安く、さんざん食べていたコシャリ(米、パスタ、豆などにトマトソース状のものをかけたもの。雰囲気は吉牛)はたしか20〜30円ぐらいだった気が。
その超庶民料理コシャリの入ったコースが、ここ新宿歌舞伎町では6000円。アッハッハ。ま、飲み放題つきですけどね。
でもどの料理もなかなかうまかったし、雰囲気は味わえました。
何より旅仲間との飲みはやっぱ楽しいですねえ。
幹事のちー兄、お疲れ様!ありがとう。
あとYさんも写真ありがとうー。
太田裕美のコンサートチケットを握り締め、少年は駆け出したくなるような衝動を抑えながら、青梅市民会館に向かって歩いていた。あの透明な歌声に出会ってからというものこの30年弱。いったい何度彼女の歌に恍惚となっただろうか。その太田裕美に、生の太田裕美の声に、今日はこれから初めて接するのである。
「むはあああっ!」
ついに理性のたがが外れ、少年は走った。通行人、電柱、定食屋の看板など、行く手にあるものをすべてなぎ倒し、疾風のごとく走った。
青梅市民会館に入った瞬間、少年は自分が間違った会場に来てしまったのではないかと思った。ロビーで談笑している人々。あの人、この人。どの顔にも深いしわが刻まれ、あるいは染みが浮き、あるいは白髪。ひと言でいえば、熟年。老年の境に入った人もチラ、ホラ。こ、これは、
「綾小路きみまろのコンサート会場か?」
無理もなかった。太田裕美のデビューは1974年。そのころ20歳の人もいまは57歳である。集まった人々を見渡しながら、もしかしたら、と少年は思った。
「お、おらが最年少かも…」
もっとも、お父さんお母さんたちの横にいる子どもは対象から外しているが。
ホールに入り、席を探す。少年の席は前から12列目だった。あった。シートに腰をかける。近い。ステージはすぐそこだ。こんな距離で、あの女神、太田裕美を聴けるなんて。
「ヤ、ヤベぇ、超ヤベぇ…」
少年は年齢相応な言葉を口にした。まわりの熟年の客たちは、何が危ないんだ? という顔で少年を見ている。
会場が暗くなった。
ステージにライトが浮かび、太田裕美が出てきた。
「ひ、光っとる…」
スポットライトで光っていた、などという下らないオチじゃない。白く光る日輪のようなオーラに、太田裕美は包まれているのだった。少なくとも少年の目にはそう映った。
太田裕美が言った。
「こんばんは」
しゃ、しゃべった!
太田裕美はさらに続けた。
「オオタヒロミです」
お、お、お…
少年は胸の内で叫び声をあげた。
「太田裕美は実在したんだ」
誇張ではなく、少年は本当にそのように思ったのである。太田裕美は架空ではなかった。本当に存在したのだ。
しかしなんという声だろう。ただしゃべっているだけなのに、この透明感、この輝き。生で聞くとぜんぜん違う。光に包まれた清流が目の前に飛び出してくるようだ。『ピラニア3D』のように食いちぎられた○○○が飛び出しくるのとはわけが違う。少年は薄汚れた過去の記憶と比較して、ひとり苦笑した。
曲が始まると、その声はいっそう澄み渡り、会場全体が光る胞子に満ち溢れた。それは驚嘆の域を超え、もはや神秘のレベルに達していた。唯一無二の美。その圧倒的な気配に細胞のひとつひとつが共鳴しているのだった。少年は立ち上がってその声とリズムに体を預けたかった。だがまわりの熟年たちは座って聴いていたので、少年は我慢した。
デビュー曲の『雨だれ』から始まり、『赤いハイヒール』、『9月の雨』……
やがて少年のまわりから熟年たちの存在が消えていった。会場には太田裕美と、少年しかいなかった。少年は体中で喜びに打ち震えた。彼は確信したのだ。
「太田裕美は、おらに向かって歌っているんだ…」
『最後の一葉』では少年は涙を流し、『さらばシベリア鉄道』ではテンポのよい曲に合わせて座ったままヘッドバンギングをした(訂正。首を軽く振ったぐらい。さすがに)。
残念ながら、『君と歩いた青春』は聴けなかったが、アンコールでは生『木綿のハンカチーフ』を全身に浴びた。
2時間のコンサートが終わり、会場に明かりがつくと、人々はにこやかに席を立ち、出口に向かった。少年はシートに腰をかけたまましばらく余韻に浸り、それから人の波に続いた。
外に出ると、少年の足は少年の意志とは関係なく裏口のほうへと向かった。すると、扉の前に10人ほどの熟年たちが柔らかい表情で立っている。少年はその人だかりから少し離れたところに、無意識に立った。そして無意識に何かを待った。
ハッ。
これって、もしかして……出待ち?
偶然にもそのような状況になっていることに少年は驚いた。
違う、違うぞ! おらはたまたまここに立って、夜風に吹かれているだけだ!
やがて、なんということであろうか、目の前の裏口から本当に太田裕美が現われ、少年の行動は己の意志とは関係なく、誰がどうみても「出待ち」になってしまった。
自分の意志で待っていたおじさんおばさんたちは、さすがに大人の貫禄を見せ、太田裕美に駆け寄って握手を求めるようなことはせず、やや離れたところから手を振った。太田裕美は少女のような笑顔で、彼らに手を振り返した。道路の向かい側にひとりで立っている少年に、太田裕美は気付かなかった。少年が恥ずかしそうに振った手は、結果として夜の闇に向かって振られたものになってしまった。
出待ち軍団はそのまま裏通りに向かって歩き出した。
少年はひとり、表通りに向かってトボトボと歩いた。
そこへ、なんと、太田裕美をのせた車が通りがかり、信号でとまったのである。
太田裕美は車窓越しに少年から2mぐらいのところにいた。そして少年を見ると、本日最高の笑顔で手を振った。その姿があまりにも可憐だったので、少年は手を振り返すことができなかった。そんな不遜な真似ができるか。と少年は思った。だから彼は両腕を腰の位置につけたまま、直立不動の姿勢をとった。それから、深々と頭を下げた。太田裕美は微笑んだ。その微笑はこう語っていた。そう、あなたのために歌っていたのよ。あなたわかっていたのね――。
彼女をのせた車は、夜の町へと走り去っていった。
この夜、少年はふたつの真実を知った。
太田裕美は実在した。
そして、、、
太田裕美は本当にいい人だ。
*
心が震える名曲をどうぞ。
さらばシベリア鉄道
いきなり曲が始まるのでご注意を。
昨日は落語を聞きに紀尾井町ホールへ。
立川談奈さんの会。
談奈さんの『藪入り』もよかったけれど、圧巻だったのはゲストのダイノジさん。
(エアギター世界一でも有名)。
これまで漫才といえば熟年の夫婦漫才しか見たことなかったので、いや、あまりのおもしろさにびっくり。芸を磨くというのはこういうことなんだなと。あ、エアギターではなく漫才ね。
で、今日も夜から「入力」である(毎日の執筆が「出力」だとして)。
待ちに待ったコンサート。
チケットを入手してからというもの、ニヤ笑いがとまらず、チケットを抱いて踊ったり、懐に入れて眠ったり(誇張ですよ)。
誰のコンサートかって?
・
・
・
・
・
太田裕美!
やった!
20代より下の人にはピンとこないかもしれないが、太田裕美はすごかったのだ。今でいうならAKB……ちゃ、ちゃうわ! ぜんぜんちゃうわ! フザけんな! あ、いえいえ…。でもま、国民的アイドルみたいな感じで、同時にアーティストとしても高い支持を得ていたのである。
僕はたぶんタイムリーではなかったと思うけれど、小学生だか中学生だかにアルバムで聴きまくっていて、御ちんちんに毛も生えていないくせに、「おお、なんちゅうスカトロジーやあ」(ノスタルジー。子供だから言い間違っている感じ)としみじみしていたのである。
で、先日、ラジオを聴いていたら名曲中の名曲『君と歩いた青春』が流れて涙がポロ。完全にのぼせあがってしまい、ユーチューブをハシゴしまくった。さらに調べてみると、やはりこのご時世、太田裕美さまもHPなどをされていらっしゃる。
で、ライブ情報などをクリックしてみると、東京では青梅市民会館でコンサートがあるというではないか。それが今日なのである。
で、チケットをとろうと「ぴあ」のサイトに飛んで検索したのだが、件のコンサートが出てこない。はて? とコンサート会場に電話してみたら、なんと、現金書留でチケット代と返信用封筒を入れて送ってくれというではないか。このご時世に!
ということで、ほんのちょっと手間がかかったけど、チケットゲット。
同年代の友人でヒマそうなヤツに何人か声をかけたものの、「その日はちょっと…」とみんななぜかたまたま2か月前から用事が入っているみたいだったので、ひとりでコンサート行ってきます。気にせず泣けるから、かえって都合がいいや。
うう、しかし感激だなあ。
だって、約30年前に熱く聴いていた声を、生で聴けるんですよ。
『邂逅の森』を読んでからというもの、熊谷達也にハマっている。
どの作品も確実におもしろい。
最近うなったのは『箕作り弥平 商伝記』。
箕(み)という農具を作る若い職人、弥平のロードムービー的なお話。場所は秋田。時代は大正末期。
熊谷達也といえば、やはり『邂逅の森』のイメージが強いため、骨太の作品ばかりかと思ったが、さにあらず。
『箕作り弥平』は爆笑に次ぐ爆笑(といってもバカバカしいお笑い小説ではないです。諧謔にあふれている、といったほうが正しいか)。そしてそのあとに押し寄せる涙。ちょっと卑怯な感じの泣かせ技だが、僕は簡単にハマってもた。
また行間に漂う切なさに、『アルジャーノン』を思い出したり。
ちなみにこの記事のタイトルは弥平の挨拶の仕方。「こんにちは」である。
よかったら、読んでみてください。
(できればアマゾンのレビューを読まずに。ネタバレしているので)
僕は大好きだなあ、これ。
じつは続編を書いてもらいたくて、せっせと宣伝していたりして。
昨日はさくら剛氏と彼の友人Z(仮名)の3人で飲んだ。
さくら氏といえば『インドなんて二度と行くか!ボケッ!!』の著者。
いま最も売れている旅行記のひとつだろうと思う。
彼とは以前、某テレビ番組の収録で顔を合わせたことはあるのだが、じっくり飲むのは初めてだった。
ということで、『インドなんか〜』を急いで買いにいき、会う1時間前に読了(笑)。
いや、おもしろかった。
太文字を多用したブログのような文体は、好みの分かれるところだとは思うが、僕は読んでいて、彼の本がこの時代に出てくるのは必然だったんだろうな、という気がした。パズルの抜けていたところに、ピースがすとんとはまる感じ、というか。
で、自分はどの本でもそうなのだが、やっぱりどうしても、(おそれ多くも)物書きの視点で、言葉ひとつひとつの意図や、作者が狙った効果などを想像しながら読んでしまうのだけど、ほんとぎりぎりのところをついているなあ、と感心した。
おもしろおかしく辛口に、でもそれ以上書けば不快になる、というぎりぎりのライン。そこのバランス。これが非常に難しいと思うのだけど、彼は絶妙な加減でタクトを振っている(彼に聞くとやはりそこは相当に気を遣っているとのことだった)。
それと読んでいてもうひとつ興味深く感じたのは、著者と旅との距離感。近すぎず遠すぎず、一定の距離をとっているという気がする。その点で、僕の本とは文体もコンセプトもまったく違うけれど、何かとても親近感を覚えた。勝手に。
で、飲んで話してみると、やっぱり感じたとおりで、旅との付き合い方や、文章に対する考え方など、じつによく似ている(と僕が勝手に思っているだけかもしれないが)。また狭い世界だから、いろいろとかぶるネタも多く、非常に楽しい酒となったのだが、しかし――。
なぜか話題の中心はさくら氏の友人Z。テーマは不倫。
やはり、この手のネタの前ではどんな文学談義(?)も色あせてしまうのだ、と思い知らされた夜であった。
(Zがトイレにたったときだけ、2人で顔を寄せ合い、本や旅などシビアな話をする僕とさくら氏であった)
ひとりラマダンが明けたとき、何を食べようか? と思案した。
(このネタまだ引っ張るのか!?)
フランスの美食家も言っている。
空腹は最大の調味料だと。
その意味では、これ以上は望めないほどのコンディションである。
ちょっと奮発していいものを食おう。
と僕が選んだのは「そば・うどん」と書かれた近所の店。
2日以上何も入れていない腹に、いきなりステーキはきつい。
で、うどんを食べようと思ったわけだけど、その中では非常に贅沢な店である。
なんと、かけうどん500円もするのだ。
「はなまるうどん」のじつに5倍である。
高級素材を使っているに違いない。
しかもこちらはラマダン明けのウルトラ空腹状態だ。
あまりのうまさに感きわまり、丼に涙を落とす、といった自分の姿が頭に浮かんだ。
で、卵とじうどんを頼み、待つこと10分。
運ばれてきたそれを見ると、やけにツユが黒い。
ま、関東のうどんだもんな。もはや見慣れているし、味にも慣れている。慣れるとあれはあれでうまいものだ。よく関西人が「あんなんうどんちゃうわ!しょうゆやんけ!」と罵倒するのを聞くが、あれはちょっと見苦しいですね。「何がマックや!マクドじゃ!」と同じぐらい見苦しい。まあ、僕もまだマクド言うてますけどね(でも他人に押し付けはしないからセーフ。のはず)。
それはともかく、さあ、とうとうラマダン明け。どんな感動が待っているのかな。と、まずはおツユをずず。
「………」
一瞬、間をおいたのち、口、鼻、耳からブーッと噴水のようにツユが吹き出た。
「しょうゆやんけえええっ!!!」
なんという塩辛さ!
関東とはいえ、いくらなんでもこれはひどいんじゃないか?
それとも絶食したせいでそう感じるのだろうか?
麺もツユに染まって茶色になっている。食べると、やはり塩辛い。しかもやけに粉っぽい。これは間違いなく自己史上ワーストだ。うどんってこんなにもまずくなれるものなのか?
2口でギブアップし、花番の女性に「薄めて」とお願いした。
板前に失礼などとは思わなかった。
味覚の違いでは済まされないレベルの濃さだと思ったからだ。
すると、奥から怒鳴り声。
さらに「パチン!」とビンタ音。
カウンター越しに見ると、オッサンがオッサンをしかりとばしている。
なんなんだこの店は…? とますます陰鬱な気分になっていると、さっきの花番さんが申し訳なさそうな顔でやってきて、言った。
「ツユを間違えたみたいです。いま新しいの作り直しますので」
私は心の中で泣いた。
なんでこんな肝心なときにそんなのに当たるんだ! と。
その後、ちゃんと作り直されたうどんが、ダブル卵に、ダブルかまぼこ、というお詫びトッピングで出てきたのだが、こちらも見事にまずかった。塩分はマシになったが、麺の粉っぽさはまったくもって理解に苦しむレベルであり、やはり生涯一まずいうどんということに変わりはなかった。
ラマダン明けにこんなうどんを食べるハメになるとは…。
いやあ、持ってるなあ、俺(本当に悔しかった)。