M夫妻が東京ドームのチケットをゲットしたとのことで、彼らとともに阪神―巨人戦を観にいった。
なんと初東京ドーム。
というより、ドーム球場で野球を観るという経験自体初めて。
タイムスリップして急に未来に来たような気分になって楽しかった。
しかも金本猛打賞。
いやあ、金本猛打賞。
セリーグで最年長記録ですって。
いやあ、金本すごい。
あ、試合は途中から大雨になって、ノーゲームでした。
オフィス「マクド」で100円の“プレミアム”コーヒーを飲みながら鋭意執筆していると、3歳〜5歳ぐらいの女の子と男の子がいつからか僕のうしろの席にいた。2人で何か話し、笑っている。クスクスといった品のある笑い方である。天使のようなお子様たちだなあ、と思っていると、そのうち「チンコ・ウンコ」を連発し、ゲラゲラ笑い始めた。すばらしい。人間の根幹を見る思いがし、僕は打たれた。お母さんは「やめなさい」と言っているが、お子様たちはやめなかった。チンコがなんとか、ウンコがなんとか、ゲラゲラゲラ…。
ウズベキスタンでの一夜が思い出された。
旅行中、オッサンに声をかけられ、家に泊めてもらったのだが、そこには4人の子供がいた。そのうちの、年端もいかない末っ子が、腰に布を巻いただけの姿で僕の前にやってきて、その布をチラ、チラ、と開いて「ちょっとだけよ」という感じでチンポコを見せるのだ。僕はもちろん涙が出るほど爆笑した。すると子供もゲラゲラ笑ってますます調子にのり、過激なヌードショーを続けた。
国も文化も宗教も、関係ないのだ。
天地長久一切衆生、絶対的な真実というものが、この世にひとつだけある。
チンコはおもしろい。これである。
ああ、今日も深遠な話を書いてしまった。
しかし、オフィスマクドにいたチンコ・ウンコ姉弟も、チンコと対を成す「〇〇〇」は最後まで口にしなかった。あんな小さな子でも「そこには踏み込むべきではない」と直観でわかっているということか?
しかし、それではなぜ、チンコはおもしろいのに、〇〇〇は取扱いが難しいのか?
この大命題について、大哲学者であり大賢人であるヒポクラテス・イシーダ大先生は明快な解答を持っている。
それを開陳する前に、みなさん、さあ考えてみましょう。
なぜチンコはおもしろいのに、〇〇〇は取扱いが難しいのか?
はい。
いいですか?
では、大賢人ヒポクラテス・イシーダ大先生、答えをどうぞ。
「〇〇〇がおもしろくなってしまったら、子孫が繁栄しなくなるからだ」
ああ、マジ深ぇ…。
ではなぜチンコはおもしろいのか?
むむむ。
つづく
まったく…。
なんでこんな日中にダルビッシュvs黒田の試合なんかをネットで生中継するかね。
こっちは締切前だというのに。
観ている場合じゃないっつうの!
おお、ダルビッシュ、カーブすげえ!
黒田もレンジャーズ相手に堂々と投げとるわ!
観とるがな…(ベタな展開ですわ)。
いかん。
仕事が手につかん。
ここは……聖徳太子戦法や!
すなわち、右脳でメジャーリーグを見ながら、左脳で原稿を書く!
おお! ジータ三振!
うーん、ここで黒田下げるか。
で、結局、2‐0でレンジャーズの勝利。
ダルビッシュは惜しくも完投を逃したけど、見事な内容。
黒田もよかった。
でも欲をいえば、日本人2人でゼロ行進してほしかったな。
で、僕の原稿もほぼゼロ行進。なんとか最終的に2行(2項じゃなく2行)書けた。今日の野球のスコアと同じだ。すばらしい。
それにしても9回表、ダルビッシュ降板時のスタンディングオベーションのすごかったこと。ちょっと鳥肌が立った。
と同時に日本のプロ野球と比べてしまった。
メジャーの観客はみんなそれぞれが気楽に観ている。そしてナイスプレーや活躍した選手には1人1人の総意が、拍手や喝采の渦になって、球場全体にこだまする。きわまればスタンディングオベーションになる。
対し、日本は応援団が旗を振り、鳴り物が常時鳴り続けている。賑やかなのはいいが、決まった流れに沿って応援しなければならない窮屈さを、僕はちょっと感じてしまう。スタンディングオベーションなんかは当然ない。
個人の意思が反映されにくい、というのは、社会のあり方がそのまま反映されているのかな?
ま、とはいっても、甲子園のあの迫力もやっぱりいいんだけどね。
全国の“消しゴムつき鉛筆”ファンのみなさん、耳をかっぽじってよーく聞いてください!
ただいまより、目からウロコ情報を発信します!
…え?
そんなヤツいるんか、って?
いますいます。筆記具は消しゴムつき鉛筆じゃなきゃ、という人が。…おそらく。
じつは僕もその1人。
仕事の8割ぐらいまではパソコンですが、そのあと必ずプリントアウトをして鉛筆で推敲・校正します。
ときには最初から鉛筆で文章を書くこともあります。
パソコンでぜんぜん書けなかったのに、紙に書いて初めて産み落とすことができた、といったパターンは数多くあります。これは前にも書いたけど。
そんなものだから、鉛筆は僕にとってパソコンと同じぐらい大事なアイテム。ほかのどんな筆記具が進化しても、鉛筆のこのやわらかい書き味にはかないません。
しかも、消しゴムつき!
これ1本で全部できてまうやん! 完璧じゃーん!
ただ、この消しゴムつき鉛筆にも弱点はあって、それは値段。
普通の鉛筆よりもはるかに高い。
しかし不思議なもので、小学生のころあれだけ高嶺の花だった消しゴムつき鉛筆も、オッサンになって気が付いてみれば屁みたいなものになっていたのである。なんの痛痒も感じずに5本まとめ買いなどができてしまうのだからマジ驚きやわあ。
えっと…。
何が言いたかったんだっけ。
そう!
目からウロコ情報!
はい、メモの用意はいいですか?
いきまっせ。
消しゴムつき鉛筆は…
三菱よりトンボのほうが断然いい!!!!!!!
どうだ驚いたか! わっはっは! ざまーみろ!
…え?
驚かなければならない根拠がわからないって?
まったく世話が焼けるなあ。
いいですか。
文房具屋さんを見てみなさい。
消しゴムつき鉛筆といえば、三菱製なのですよ。
あの山吹色のヤツ。消しゴムが赤っぽくて。
シェアでいえば90%以上が三菱じゃないですかね。
ていうか、僕は三菱以外のそれを見たことがなかったし、ずっと三菱を使い続けてきた。
ところが先日、取材で行った奄美大島で急きょ消しゴムつき鉛筆が必要になり(東京に忘れてきたから)、コンビニに行ったらトンボしかなかったのだ。
「三菱のはないですか?」
と聞いたが、「ない」という返事。
ところ変われば勢力図も変わる、ということか。
使い慣れないブランドにいちもつ、じゃなかった、いちまつの不安はあったが、背に腹は代えられぬ、とそれを買った。
で、使ってみたところ、、、
きゃあああああっ!!! 何これ? めっちゃ消えるぅぅぅ!
そう、消しゴムがすばらしいのだ!
紙に負担をかけずにガシガシ消えていく。
しかも書き味もいい!
HBなのに三菱のBぐらいやわらかいのだ!
すべてにおいて三菱をはるかに上回っているやないか!
で、それを使い切ってしまってからは、東京で文房具屋を見つけるたびにズカズカ入っていってトンボを探すのだが、やっぱりないのである。三菱ばかりなのである。
仕方なく、「ここになければ世界にない」と思われる新宿の「世界堂」に行った。
あった。やっとあった。トンボあった。で、使ってみた。最高。快感。ああん、イク。
で、思ったのだ。
シェア1位のトップブランドはあぐらをかいているが、下位のブランドは品質向上に向けて日々努力しているのだなあ、と。
ああ、ほんとは5行ぐらいで書き終えてさっさと寝るつもりだったのに・・・。
なんで俺はこんなくだらないことを書くために睡眠を削っているのだろうか?
*
半分寝ながら書いたのでおかしなテンションになっています。
濃いメンバーで飲んだ。
『海外ブラックロード』の著書などで知られる嵐よういちさん、『インドなんて二度と行くか!ボケ!!』のさくら剛さん、『実録ドラッグリポート』や『裏のハローワーク』などの草下シンヤさん、ライター兼AV汁男優のMさん、洋ものAV専門ネットラジオのTさん、クスリ系精神系ライターのTさん、、、
居酒屋で他の客がドン引きする話がのべつ幕なしにデカい声で語られており、途中から参加した僕は爆笑しながらも汗がタラタラ。
中学生のころなら無邪気に憧れるAV男優という世界も、大変なのですね。。。
以下、プロ野球に興味のない人には、まったくわけのわからない記事になるが、あしからず。
そう、巨人である。
わが阪神も近年は巨人のことをとやかくいえない状況になっているのだが、しかしながら、今年の巨人の補強ぶりは「おいおい、マジかよ」と唖然とするものがあった。
他チームの4番とエース級2人、計3人を引っこ抜いたのである。
ますますプロ野球がつまらなくなっていくなあ、と溜息も出る。
もしおもしろくなるとすれば、“誰がどう見ても優勝だろ”の巨人が負けることぐらいだが…。
そう、いま野球が絶好調におもしろいの! あっはっは!
巨人、4連敗で最下位に返り咲き。ぷぷっ。
スポーツニュースでも「大型補強したのに…」とテロップで言われる始末である。
で、ヤフーニュースのコメント欄を見ても、巨人の負けっぷりに呵呵大笑している書き込みだらけで、仕事の手を休めてついつい読んでしまうのだが、昨日、思わず真夜中にブッと吹き出してしまった。
ということでご紹介。
昨日、巨人が3連敗したニュースに対するコメント。
*
原監督
「そもそも戦力が足りない……」
*
ブッ。
あれ?
そうでもない?
しかし、他チームの惨状を喜ぶという悪趣味に浸っている場合ではないんだよなあ。
阪神よ、ずるずるいっちゃいかんよ。
どうしてもそりの合わない人がいる。
自分のことが嫌いなんだろうな、という人がいる。
それら“苦手な人”とどう付き合うか?
たいていの人は「できる限り最大」の距離をとろうとするんじゃないだろうか。
おそらく、僕もそう(幸いそういう人にはずっと会っていないのだが)。
でもそれができない職種もある。
旅行添乗員はまさにその代表格だろう。
そのベテランに、昨日インタビューをした。
秘境の旅を専門に扱うフリーの添乗員、金子貴一さんである。
『秘境添乗員』という本も出されている(非常におもしろかった。稀有な人生を歩まれている)。
物腰がやわらかく、博識。まさに添乗員の鏡のような人である。
いろいろ話をきいていくうちに、冒頭の質問をした。
すると彼は考えるそぶりも見せずにこう答えたのだ。
「私は空手をやっていたんですが、変に距離をとろうとすると、逆に、打撃が最も効く間合いに入ってしまって、相手は余計にこっちを負担に感じます。それよりは思いっきりその人に向かって、抱きつかんばかりに近づきます。最初は嫌がられるけど、そのうち関係が変わってきます。これをツキノワグマ戦法と呼びます(笑)」
何かハッとさせられるものがあった。
離れるのではなく、近づく――。話としては、ひねりのない至極単純なものだ。でもリアルに想像すると、それがいかに大変な所業かということに気付く。そして、たしかに、それ以外の方法はないのだろうなとも思う。
それと、ふとこんなことも思った。
「ストレスがたまる」という言葉があるから、何かあるとそのイメージを頭の中に描いてしまい、吐き出したい、という欲求を抱いてしまう。
しかし、じつはストレスなんてものは物質でもなんでもないわけで、だから“たまる”わけがない――そう思って過ごせば、いやなこともその瞬間その瞬間でスルスルと流れ落ちていくんじゃないかな――。なんてね。
朝から思いがけず泣けてきてしまった。
すでにそのニュースに触れた方も多いと思うが、イングランドのサッカー、プレミアムリーグで、試合中倒れたムアンバ選手が奇跡的に生還し、退院したというのだ。
泣けてきたのは、やはり同様に試合中に倒れ、そのまま帰らぬ人となった松田選手のことがあるから。
なんというか、すなおに、本当によかった・・・。
ムアンバ選手と監督のコメントがとてもいいです→こちら。人が人を思いやるのを見たら泣けてくるのは、オッサンになった証拠かな。
ところで昨日はコスタリカ人のクリスってやつと新宿で飲んだ。
2月に奄美大島に行ったときに会ったヤツ。
彼は桜前線を追っかけて、つまり満開の桜を追って自転車で日本縦断している。
奄美大島から2か月でここ、東京までやってきたというわけだ。
「日本のドライバーたちは信じられないぐらいジェントル。人もいいし、メシもうまい。最高の旅をしているよ」と言っていた。話好きで、一緒にいると会話がとまらない。
これから長野、新潟、仙台、青森、北海道と走っていく予定。
いいヤツなので、見かけたら声援送ってやってください。
こんなヤツ。あ、英語はペラペラですが、日本語はあいさつ程度です(でもがんばって一語でも覚えようとしている。このあたりがいい)。
しかし、地理に不案内の外国人と新宿駅で待ち合わせなんかするもんじゃないですね。
18時半に待ち合わせして、会えたのは20時でした。
本1冊読み終わりそうだった(笑)。
そうそう、拙著『いちばん危険なトイレといちばんの星空』に書いた「世界一危険なホテル」のことを彼に話したら大うけして(彼の住むサンホセにそのホテルはある)、「そのホテル、たぶん俺知ってるぜ! 中央市場の近くにあるヤツだろ。まだあるはずだ。帰ったら写真撮って送ってやるよ」と言っていた。
ほんとに送られてきたら、またこのブログで紹介します。
(僕自身は一刻も早くそのホテルから離れたかったので、写真は撮っていなかった・笑)
オフィス「マクド」にオフィス「モスバーガー」と各地にオフィスを持つ僕だが、オフィス「図書館」もよく利用する。とくに本の執筆の後半は各辞書をはじめ、語源辞典やらシソーラスやら百科辞典やらを引きまくるので、オフィス図書館にこもることも多い(的確で信用性の高い情報を得るには、ネットより図書館のほうが断然早い気がする。ていうか、ネットしていると脳が淀むんだよなあ)。
で、わが街阿佐ヶ谷は、舞台役者、映画人、文人など、いわゆる文化人と呼ばれる人が多いところなのだが、たとえば、オフィスマクドで何も注文せずに席で居眠りをこき、店員に「何か頼まれましたか?」と問われ、「じゃがいも」と答えるじいさんがいたり、といったように“文化人”たちの特異な人間模様を楽しめる街なのである。
そんな街のオフィス「図書館」で先日、気になる人に会った。
と、ここでお詫びしておこうと思うのだが、“枕”をダラダラと書いたわりに、今から書く本編はあまりおもしろくないと思う。ていうか、“枕”でじゃがいもじいさんを再登場させたかっただけだろ、と問われれば、まさにそのとおり、と答えるしかないのだが、いずれにしても、以下の話はじゃがいもじいさんほどのインパクトはないので、忙しい方は以下読み飛ばしてください。
分厚い辞書類を積み上げて、見た目だけは猛烈に仕事をしている僕の前に、白髪ぼさぼさ、かつ汚れた服を着たじいさんが座った。失礼を承知でいえば、どこからどう見ても年中野宿をされている方である。
ところが、じいさんはやおら頭陀袋から古書らしき本を何冊も取り出したのだ。それぞれがジップロックに大切にしまわれている。気になって、そのタイトルを見るとほぼすべて洋書である。しかもギリシャ語―英語の辞書だったり、イスラム教哲学だったり、と何やら凄味のあるものばかり。さらには図書館の棚から分厚い本を数冊借りてきて僕より高く積み上げ、何か書き物を始めた。
当然気になるので、本を探すふりをして、じいさんの背後に立ち、何を書いているのかのぞいたところ、英語ではないアルファベットの文字列を猛烈なスピードで書いていたのである。
と、まあ、これだけの話なんだけど、パッと見は家無し翁がじつは(もしかしたら)どこかの偉い学者先生(かもしれない)、というのがなかなかシュールで映画っぽいなあ、と感心し、僕も電話帳のような『哲学辞典』などを棚から抜き取り、脳天気な世界食べもの紀行の原稿の横に積み上げてみたのだった。
時間の管理が苦手なため、締切前はいつもバタバタする。
今回の本もそうだった。昨日の入稿に向けてまったく余裕がなくなってしまい、パンを焼く時間も惜しくて、食パンをそのままかじって飢えをしのいだ。
その“生食パン”を口に入れたとき、なんともいえぬノスタルジーに包まれたのである。
あれ? なんだっけこれ? と思った2秒後に、無人駅にいる19歳の僕がブワッと脳裏に浮かんだ。
そう、自転車で日本一周をしていたころ、しょっちゅう“食パン生かじり”をしていたのだ(旅の中盤からはパンの耳に切り替わったが)。
考えてみると、何もつけずに食パンを食べるなんてそれ以来のことかもしれない。
で、20年以上ぶりにそうやって食べてみて、ちょっと驚いてしまった。
「う、うまいがな…」
食パンが、である。
何もつけなくても、普通にうまいのだ。
20何年前はそうではなかった。
仕方なく食べていた印象しかない。
そういえば、世界一周から7年ぶりに日本に帰ってきたとき、どの食パンも「長時間熟成」とか「湯種」などといった「新製法」が袋に打たれていて、食パン界も常に技術革新を求められているのだな、と妙な気持ちでその文字を見ていたのだが、その“革新”はどうやらはちゃんと味になって表れているらしい、ということに、今回生で食べてみて初めて気づいたのだった。
いやあ、パン業界の皆様、ご苦労さまです。
・・・むむむ。
またもや誰にも共感されない“独り感動”を書いてしまった気がする。